石松暁イメージ
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ISHIMATSU SATORU
化学品

プロフェッショナル職石松 暁

  • 化学品本部
  • 建材部 部長
  • 1998年入社/理工学部卒

PROFILE

高校まで野球中心の生活を送った後、大学は建築家に憧れ、建築学科に進学。学業に励むも道のりの厳しさから断念し、人と接する仕事を希望して当社へ入社。入社後は建材本部東京営業部1課(現 化学品本部建材部)に配属され、学んできた知識を活かして活躍。2016年から4年間はタイのバンコクに駐在。2020年から化学品本部建材部大阪営業課に所属。

稲畑産業にハマるまで

思うように結果が出せない。
だけど会社は見限らなかった。

入社以来、一貫して建築資材の取引に携わってきました。木質系素材や化学品といった原材料から木質系の製品までを扱い、販売先は大手ハウスメーカーや建材メーカー、流通店など。仕入先も国内外に多様な取引先があり、現在は部長としてすべての取引のまとめ役を担っています。今日は北海道、明日は九州、時には海外を飛び回っては人と会い、話をする。それが仕事の大半です。確かに今でこそ人付き合いも仕事もそつなくこなし、順風満帆な商社人生を送っているように見えそうですが、入社後数年は業界全体が不調だったことに加え、もともとは人見知りで、若さゆえコミュニケーションの仕方もつたなかったのかもしれません、手応えのない時間の方が長かかったんです。でも、上司や先輩たちは叱咤激励しつつ真剣に向き合ってくださいました。「この会社はたった数年で人を見限る会社じゃない。育てようとしてくれているんだ」と感じ、気持ちを切り替えて前へと進んだことで、今があると思います。

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商売にハマり、型にはハマらない

タイで経験した苦い経験。
商売は簡単なものじゃないと知った。

商社人生でぶつかった一番高い壁は40歳目前で決まった海外赴任です。場所はタイの現地法人。そこで建材を拡販することを第一目的に赴任の命を受けました。以前から海外駐在を希望していたこともあり、それなりの自信はあったんですが、思い切り苦戦しました。マーケット開拓が難航し、思ったように成果が出ない。営業パーソンにとって最も辛いのが、売り上げ利益がでないことであって、月報に何も書くことがない日々が続きました。4年間駐在し、それなりにチームも大きくなり、案件も増えはしましたが、業績がなかなか上げられないもどかしさは、結局最後までありましたね。でも、商売ってそんな簡単じゃないんですよ。特に稲畑産業の営業はBtoBだけに、3〜4年頑張って短期で稼ぐ商売ではなく、じっくりと長く商売をし続けることが基本ですから。今では組織やチームも変わり、ビジネスが少しずつ進化し、私が種を蒔いたビジネスが少しずつ伸びているとも聞いています。今後稲畑が発展するために必要な新しい商材や新しいマーケットに繋がるための一つの礎は築けたと思っています。

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商売にハマり、型にはハマらない

商売の拡大と人材育成が課題。
しっかりと人を育てていきたい。

稲畑産業のさらなる成長に貢献するためには、やはり商売の拡大と人材育成がとても大切だと考えています。現在の商売を必死に守りながら、新しいことにチャレンジしつづけるということしかありません。その上で意欲ある若い人たちと一緒に次代を築いていきたいと思っています。商社の営業という仕事は人と会って話すことが最も重要です。ネットの情報はただのインフォメーションでしかなく、本当に価値のある情報は人からしか入ってきません。それを溶きほぐすようにコミュニケーションを取って引き出し、次の仕事へと繋げていく。そこが醍醐味であり、おもしろさでもあるんです。本音を言えば、そう思えるまでに私自身も5年、10年はかかりました。でも、稲畑産業は時間がかかっても人をしっかり育てていこうという風土があります。私もそれに支えられて成長できた一人。その社風はもちろん今も健在です。

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╲ 社員一問一答 /

  • これだけは誰にも負けない!ということは?

    特にないですね。あえて言うなら。際立った個性や強みがなく、バランスが取れているということでしょうか。

  • リフレッシュの方法は?

    運動、食事、睡眠を充実させること。そしてたまにサウナですね。

  • 稲畑産業のここが好き!

    会社から強制されることが少ないことですかね。あとは職場の雰囲気がいいこと。冗談を言い合える環境にあります。

  • 商社に勤めていなかったら何になっていた?

    大手ハウスメーカーの社員か建築技術者。もしくは独立して会社社長。