リヨン
稲畑産業の原点。それはローマ帝国時代より繁栄を続けてきた「絹の町」フランスのリヨンです。稲畑産業の創業者・稲畑勝太郎は、1877年から8年間、京都府派遣留学生の一人としてリヨンに渡り、最先端の染色技術と化学工業の基礎を学びました。
稲畑産業の原点、
そして、はじまり。
古くから「絹の町」として繁栄したフランス・リヨン。1877年、その地に降り立った一人の青年こそ創業者・稲畑勝太郎でした。勝太郎は、8年間の留学生活で、最先端の染色技術を学ぶとともに、のちの会社発展を支える先見性や独創性を培います。そして帰国後の1890年、勝太郎は京都に稲畑染料店を開業。稲畑産業の歴史が始まります。当時、勝太郎は、欧州から染料や染織機械、医薬品などを輸入する一方で、染色技術の実地指導にも力を注ぎました。そこには先進的な商品や技術導入によって、「日本の近代化に貢献したい」という強い志がありました。
初の海外進出。
戦争の動乱期を乗り越えて。
稲畑産業初の海外進出は1908年。中国天津に設立した東華洋行を天津支店とした事に始まります。その後ブリュッセル、上海、バタビア(現ジャカルタ)と次々に拠点を拡大しますが、敗戦を機にすべてを失う事に。現在の「稲畑産業」と社名を変更したのは、1943年。戦時中は、会社の存続に全力を尽くしましたが、海外拠点をすべて失う大きな痛手を負いました。しかし「何でも売る、何でも扱う、しかし誠実さだけは失わない」という商魂のもとに団結し、商売を地道につなぐことで復活を遂げました。
上場・事業拡大期
戦後の混乱を乗り越え、復活を遂げた稲畑産業は高度経済成長とともに合成樹脂、建材など事業分野をぐんと広げます。1973年には大阪・東京の両証券取引所の第一部に上場。また、1976年には戦後初の海外拠点としてイナバタシンガポールを設立しました。その後、東南アジア各国で商社および製造加工工場を展開。各国での認可取得や工場運営などの豊富な実務ノウハウを蓄積することで、お客様のモノづくりを支えていきました。
創業100周年、
そしてその先の未来へ。
1990年、稲畑産業は創業100周年、2010年には創業120周年をむかえました。2012年、13年にはメキシコ、ミャンマー、トルコ、ブラジル等に相次いで商社拠点を設立し、新興国への展開を本格的に開始した稲畑産業。現在では17ヶ国、約60拠点にわたって商売をしています。2017年には「IK Vision 2030」を策定し、10-15年後の会社のありたい姿を提示。稲畑産業は、創業以来大切に受け継いできた「愛・敬」の精神を基礎に、着々と歴史を積み重ねながら、次の時代を見据え、進化を続けています。