稲畑産業株式会社 社内報「いなほ」219号
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発 行 者 稲畑産業株式会社 総務広報室 東京本社 050-3684-4063 大阪本社 050-3684-4138 発 行 日 2017年10月1日編集協力 株式会社産業編集センターNo.219October 201710ここは挑戦者たちの劇場だ。IKパーソン稲畑染工場設立最新の技術と染料で染色生地の国産化へ創業時より脈々と受け継がれる稲畑産業の挑戦のDNAをご紹介します。1890年代前半、日本の染色技術は未熟で、高価な輸入生地に頼らざるを得なかった。この状況を打破すべく、かねて創業者は染工場を経営したいという思いを抱いていた。折も折、大阪・長柄橋畔の工場・土地が売りに出されると、創業者はこれを買収。97年、稲畑染工場を設立し、社長に就任した。青少年時代の海外留学および毛モスリン斯綸事業の経験を生かして、英・独・仏から高性能の染織機械を導入し、最新の染料を使用。工場長として毎朝4時に起き、※菜っ葉服を着て終日仕事に励むだけでなく、自ら技師や職工の養成も手掛けた。97年頃から女子教育が盛んになり、当時全国の女学生に大流行した海老茶の木綿袴地を製造。「海老茶染」といえば誰でも稲畑染を連想するほどだった。そして、独自のカーキ色を考案するなど自ら学んだ知識と技術をもって国家への貢献も果たした。1930年に株式会社となるも、情勢は、大手紡績会社による糸から製品までの一貫生産が主流に。35年、東洋紡績に事業を譲渡したが、最先端技術の導入によって、染色の国産事業化に大きな足跡を残したことは言うまでもない。※菜っ葉服:工場労働者などが着る、薄青色の作業服 商社機能のみならず、製造加工機能を持つことで、お客様のニーズにきめ細かく対応できる。これは創業当時から始まった当社の強みであった。そしてこのDNAは樹脂コンパウンドをはじめとする製造加工拠点として全世界で20拠点余りに展開され、現在の稲畑産業へ受け継がれている。商社機能を補完する独自の製造加工機能阪急電車の車体色は海老茶!?受け継がれる(上)海老茶色(下)カーキ色1904年当時の広告(京都工芸繊維大学で撮影)出典: 武部好伸著『大阪「映画」事始め』樹脂コンパウンド加工拠点の一つIK Plastic Compound Mexico, S.A. de C.V.阪急マルーンと呼ばれる落ち着いたあずき色は、阪急電鉄創業者の小林一三が当時の女学生が着ていた袴の「稲畑染(海老茶染)」に魅了されて決めたといわれています。面白コラム(京都工芸繊維大学で撮影)

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