稲畑産業株式会社

RECRUITMENT INFORMATION 2018

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私と商売

沈 賢武(シム ヒョンム)/2012年入社/情報電子第一本部/第二営業部/第一営業課/兼 第二営業課

自分をどれだけ見込んでくれるか。それが勝負。

仕事の流儀

何を考えてるんやろ?
想像を超えた妄想力こそが私の強みです。

私が今担当しているのは、ある大手化学メーカーのお客様に、液晶材料向けの原料を供給するビジネス。そのミッションは、日々、取引先の購買部や生産技術部、生産管理部など、複数の部署をまわり、「いつ、どのような原料をどれくらいの数量、必要とするのか?」という、各部署のニーズを汲み取り、サプライヤーとの協力のもと、レスポンス良く的確に応えていくことです。この商売の難しい点は、それぞれの部署の担当者が求めているものの視点が異なり、抱えている課題も異なること。たとえば、購買部なら価格を、生産技術部なら技術トレンドを、そして生産管理部なら納期のタイミング等にからむ物流関連を注視します。そうした中でお客様の課題解決に向けて期待を上回る提案をしていくことこそが、私の腕の見せ所です。

私が日々心掛けているのは、「何を考えてるんやろ?」。ズバリこれです。相手が何を考えているか。何を望んでいるか。徹底して妄想を膨らまし、先手の営業活動を行う。この姿勢が私の仕事の核となっています。

たとえば、高度な技術が求められていると察したら、「最新技術に詳しいサプライヤーの技術者を同行させよう」とか、次回面談で客先のキーマンが出てきそうだと思えば、「あの話が出るな。ならば、そのための資料に目を通しておこう」とか。脳みそが擦り切れるほど、想像を超えた妄想を展開します。とはいえ、妄想のもと、最高の戦術を立てたとしても、それが毎回ビシっと決まるわけではなく、ズレることもしばしば。でも、簡単にいかないからこそ面白い。妄想、戦術立案、実行、軌道修正のサイクルを繰り返すうちに、経験が蓄積され、確実にその精度が上がってくる。そうしてお客様からの信頼が高まり、大きな成果に結びつくとき、この商売の醍醐味を感じることができるのです。

商社ビジネスの真髄

このビジネスのことなら沈に聞け!
そんな第一人者になれたら本望です。

2012年に入社し、2年目にこの商売の担当になりましたが、だいぶ商売の勘所が掴めてきました。それを実感したのは、サプライヤーA社から大手化学メーカーのお客様へ供給する商材の取引額をわずか1年半で飛躍的に伸ばすことができた時です。やり方はそれまで通りで、サプライヤーA社、大手化学メーカー双方の関係者に対し、「何を考えてるんやろ?」と考え続けること。それを基本として、A社のキーマンのもとに足しげく通い、「A社の商材がいかに供給先に重要であり、求められているのか」、説得を続けました。また一方で、大手化学メーカーのどの部署にA社の商材の需要があるのかを探り、その情報をA社に伝えるなど、緻密に情報を積み重ねて、A社との太いパイプをつくっていきました。その結果、大手化学メーカーのニーズと、サプライヤーA社の供給力をうまく結びつけることができ、大きな成果に至ったのです。

この話には嬉しいおまけがついてきました。A社が私を見込んでくれたのか、「他のある大手化学メーカー向けのビジネスを一緒にやりませんか?」と話を持ちかけてくれたのです。これを機にA社の技術打ち合わせにも参加させてもらうようになり、新規ビジネスのタネを獲得できました。自分のやり方は正解だったと思えたし、自信もつきましたね。自分を信頼してくれるお客様、サプライヤーのため、もっと頑張ろう、一緒にこんなこともしたい、とモチベーションも上がっていきました。

しかし、私はまだ満足していません。次なる目標は、お客様の今のニーズを超えて、新しいビジネスをつくっていくこと。それを達成するために必要なのは、自分から仕掛けていく営業活動です。たとえば今は、液晶の次に来るビジネスを見据えた営業活動を展開中。取引先メーカーの担当者から新規事業への取り組みについて聞き出すのはもちろん、新事業開発室などの方を紹介してもらい、次に来る商材のタネを探ったりもしています。今はまだタネでも、芽が出そうな時、いち早く情報をもらえるよう、関係を強めておくことが大事。タネから芽が出る瞬間をキャッチし、新しいビジネスをつくり、このビジネスのことなら沈に聞け!といわれる稲畑の第一人者になる。それが実現できて初めて商社ビジネスの真髄がつかめるのではないかと思っています。

私とサ

サッカー経験は、商社の商売に通ず!?

精神のバックボーン

サッカーの練習の凄まじさに比べたら、
仕事の厳しさなんて何てことないかな(笑)

一時はプロになることも考えていました。それぐらい本気で打ち込んでいたサッカーは、私にとって、今の自分を形づくった源といってもいい存在です。私のサッカー人生のはじまりは、5歳の時。2歳上の兄と同時に始めて、小学校に上がるとすぐチームに入りました。この頃、自分は結構うまいんじゃないかと気づいて、一気にハマりました。

私と兄は中学、高校を通じて同じ学校のサッカー部に所属していました。高校のサッカー部は3軍まである強豪校でしたが、私は1年生の頃から上位25人くらいのサポートメンバーに入っていました。兄とはライバル関係だったためか、当時はろくに口も利きませんでしたね(笑)

私がインターハイにスタメンで出場したのは高3の春。それに向けての練習の走り込みの厳しさは、最初、リタイヤする部員が続出したほど凄まじいものでした。なにしろ、1km×15本の15km、1本走るごとにどんどん速くなる目標タイム内に部員全員が走りきらない限り、終わらせてくれないのですから。しかし、部員同士で支え合い、この厳しいメニューをこなすうちに全員が走りきれるように。試合に勝つことができたのは、過酷なトレーニングのおかげだったと思います。この時の経験があるためか、今の仕事でどんな厳しい局面に直面しても、目標達成のためには、少々の無理も腹をくくって挑めます。サッカー経験が私の精神のバックボーンになっていることは間違いないですね。

今思えば、サッカーに打ち込みながら、
商社っぽいことしていました。

高校のサッカー部での私の役回りは、一言でいえば調整役。「監督はああいう風に言ってるけど、実際はこうやろ」などと部員みんなをなだめたり、必要があれば先輩たちにも遠慮せずに意見を述べたりと、積極的に動き回ってチームをまとめていました。

サッカー部で起きる大問題の一つは、試験で赤点を取る部員が多かったこと。追試をクリアできなければ、その部員は試合に出ることができなくなるからです。そんな中、自慢じゃないですけど、私はサッカー部内で一番成績が良かったのです。サッカーに打ち込みながらも、成績優秀なクラスメイトと良い関係をつくっておいてノートを見せてもらうなど、しっかり試験対策もしていましたね。

そんなこともあり、私は追試メンバーの教師役を買って出ていました。追試前の一週間、練習が終わった後、ファミリーレストランで1〜2時間、「試合に出たいやろ」と尻を叩きながら、勉強を教える日々。みんな、試合に出たいから必死です。結果、私が教えたメンバーは全員、追試をクリアし、試合に出ることができました。

改めて振り返ると、高校時代から商社っぽいことをしていたのかも知れません。私の仕事のポイントは、お客様やサプライヤーとの信頼関係を構築し、それをベースに双方をうまく結びつけることで、成果を出していくこと。つまり調整役という機能も一つの重要な要素です。サッカー部での私の役割も監督と部員、先輩と後輩との間を取り持ったり、仲の良い成績優秀なクラスメイトから情報を入手して、部員の追試にも活用したりと、まさに調整役。商社マンとしての素養は高校時代からあったのかもしれません(笑)。