稲畑産業の創業者、稲畑勝太郎は十五歳でフランスのリヨンに公費留学し、当時の先端技術だった合成染料と染色技術を学んで一八八五年に帰国しました。夏の四十度を超える日も重荷を背負い、冬はローヌ河畔で氷を破って絹糸を洗い、染工場の苛酷な労働に耐えました。勝太郎のチャレンジ精神は時代を越え、今日へ脈々と受け継がれています。
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それはリヨンから始まった
フランスで学んだ
十九世紀の先端技術
稲畑産業の創業者、稲畑勝太郎は十五歳でフランスのリヨンに公費留学し、当時の先端技術だった合成染料と染色技術を学んで一八八五年に帰国しました。夏の四十度を超える日も重荷を背負い、冬はローヌ河畔で氷を破って絹糸を洗い、染工場の苛酷な労働に耐えました。勝太郎のチャレンジ精神は時代を越え、今日へ脈々と受け継がれています。 |
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一八九〇年、稲畑染料店発足
日本の近代化への熱き志
創業者・稲畑勝太郎は、一八九〇年、稲畑産業の前身、稲畑染料店を発足させました。京都市上京区に初店舗を構え、欧州一流メーカーの染料、染織機械、薬品、香料、医薬品を輸入する一方、染色技術の実地指導に力を注ぎました。そこには先進的な商品や技術を導入して日本の近代化に貢献したいという熱き志がありました。
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映画、到来。
シネマトグラフで映画を国内初上映
創業者・稲畑勝太郎は、フランスのリュミエール兄弟が発明した映写機「シネマトグラフ」を一八九七年、初めて日本に持ち帰りました。リヨン留学時代の同級生だった兄のオーギュスト・リュミエールから映写機を見せられ、「これこそ欧米最新文化を紹介するにふさわしい」と直感したのでした。勝太郎は同年二月、大阪・難波の南地演舞場(現TOHOシネマズ なんば)で日本初の映画の興行上映を行い、「動く写真」に会場は大盛況となりました。
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「世紀をこえた愛・敬の精神」
人間尊重の経営
創業以来親しまれてきた稲畑産業のロゴマークの「IK」。
マークは創業者・稲畑勝太郎のイニシャルであると同時に
「愛・敬」の意味が込められています。人、そして社会を
大切にしたい、という勝太郎の心は時代を越え、信頼を礎
とする人間尊重の経営理念として今日も生き続けています。
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