L'histoire d'Inabata ~受け継がれるパイオニアの遺伝子~
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4 第一次世界大戦による経済的混乱が日本の染料業界にも及んでいた1916年、政府は染料の国産化を促すため、後の住友化学株式会社のファインケミカル事業の基礎となる日本染料製造株式会社を大阪に設立しました。 設立にかかわった勝太郎は1926年に社長に就任。その後、稲畑商店は主に日本染料の製品販売を目指し、ブラッセル、奉天、天津、上海、バタビア、ソウル、青島、ハノイ、大連、済南、ジョクジャカルタに拠点を開設、海外進出を積極化させました。 自ら学んだ知識と技術を国家のために役立てたいと願った勝太郎は、染織業界の近代化に重要な役割を果たしました。 勝太郎は関西財界での貢献が認められ、1922年、大阪商業会議所(現・大阪商工会議所)の第10代会頭に就任。約12年間の在任中、厳しい環境の中での舵取りを求められ、中小企業対策や産業の合理化、そして実務教育に全力で取り組みました。海外進出昭和初期の上海のイメージ図

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