L'histoire d'Inabata ~受け継がれるパイオニアの遺伝子~
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初代毛斯綸大橋淀川区20周年記念「淀川今昔写真館」より当時の稲畑染を再現した生地勝太郎が輸入した毛斯綸の生地京都工芸繊維大学所蔵3 大阪と兵庫の間を流れる神崎川に架かる毛斯綸(もすりん)大橋。この橋の先にはかつて、毛斯綸紡織株式会社戸ノ内工場がありました。毛斯綸は、当時女性の和服用に大量に輸入されていた、薄地で柔らかく、また温かいというウール素材です。この毛斯綸の国産化を目指して、勝太郎が発起人となり、毛斯綸紡織の設立にこぎ着けます。1895年のことでした。 1897年には大阪に稲畑染工場を設立し、最新技術を用いた染色加工業に進出。優れた製品を世に送り出しました。 特に海老茶色は「稲畑染」と呼ばれ、当時の女学校の制服の袴に採用されたほか、独自のカーキ色を考案するなど染織事業の国産化に力を注ぎました。 染織事業の国産化

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