L'histoire d'Inabata ~受け継がれるパイオニアの遺伝子~
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リヨン旧市街1 ローマ帝国時代に建設されたというフランス有数の都市、リヨン。古くから「絹の町」として知られ、交通と交易の町として繁栄して来ました。一世紀以上前の明治初頭、日本から来た一人の10代の若者がこの地に降り立ちました。 若者の名は、稲畑勝太郎。稲畑産業の創業者です。稲畑産業の原点がこのリヨンにあります。 京都師範学校時代の1877年、京都府派遣留学生8名の一人に選ばれた15歳の稲畑勝太郎はフランスへと旅立ちました。当時のリヨンは、ヨーロッパ最大の絹織物の産地で、最先端の染色技術を誇っていました。 マルチニエール工業学校で染色技術の基礎を学んだ勝太郎は、学問的な知識だけでは不十分だと感じ、マルナス染工場の現場で技術を習得しました。一日11時間を越える労働時間に、40℃を超える真夏の暑さ。そして冬のローヌ河の冷たさ。勝太郎を支えたものは、国の発展のために選ばれて来ているという使命感でした。3年に及ぶ工場での徒弟生活の後、勝太郎はさらにリヨン大学で化学課程を修めました。 後の勝太郎の先見性や独創性はこの8年間にわたるフランス留学で培われたのでした。リヨン稲畑 勝太郎工業学校時代

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