稲畑産業株式会社 社内報「いなほ」217号
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 世界的には、ほぼ同時期に映写機を発明したシネマトグラフのリュミエールとヴァイタスコープのエジソンですが、日本映画の父と言われるのは牧野省三。創業者から事業を譲り受けた横田永之助が映画製作を依頼した人物で、その後手掛けた映画は300本以上。 尾上松之助をはじめ、阪東妻三郎、片岡千恵蔵、嵐寛寿郎、市川右太右衛門(北大路欣也の父)といったスター俳優を育てたこと、映画監督や脚本家も数多く育て映画の草創期を作り上げた功績からそう呼ばれている。京都等持院には氏の銅像が建てられている。ちなみに、孫は長門裕之、津川雅彦兄弟。日本映画の父は長門・津川兄弟の祖父※映画の日制定根拠毎月1日に入場料割引きされることで知られる映画の日は、日本で最初にキネトスコープ(1人ずつ覗き込んで見るタイプ)により映画が公開された日を記念して制定された。 実際には11月25日~29日かけて公開されたようだが、11月25日よりも12月1日の方がキリが良いということで1956年、当時の日本映画連合会(現:日本映画製作者連盟)が記念日として制定した。現在は12月のみならず、毎月1日を割引料金(大人1,800円⇒1,100円)設定日として運用されている。◆◆◆◆◆DNA 南地演舞場のあったマルイのビル1階、映画館への直結エレベーター脇には「映画興行発祥の地」のプレートが貼られ、稲畑商店(当時)の功績を記している。映画を日本に届けようという創業者の志が映画産業に貢献したことは間違いない。稲畑産業の挑戦心の原点がここにある。TOHOシネマズなんば受け継がれる試写~興行期02発展期0319031912日活の前身、横田商会設立日活の誕生創業者から映画事業を譲り受けた横田永之助らが、横田商会を設立。横田永之助は創業者の留学仲間である横田万寿之助の弟。永之助は巡業隊を編成し、全国を興行で回った。国家の方針から映画会社の統合があり、映画の製作・配給・興行を目的に横田商会と3社が合併し「日本活動写真株式会社(日活)」となり、日本映画文化の本格的幕開けとなる。創業者は1~2月、京都市の四条河原にてシネマトグラフを用いた映画の試写を実施。その直後の2月15~28日、大阪難波の南地演舞場にてシネマトグラフを用い、日本で初めて入場料をとる映画興行を行う。また創業者は、リュミエール社の映写技師コンスタン・ジレルの「家族の食事」に出演。2月22日、大阪の新町演舞場にてヴァイタスコープを用いた映画興行が行われる。1897シネマトグラフで日本初の映画興行ヴァイタスコープも映画興行へ「家族の食事」(コンスタン・ジレル撮影、1897年。右端が創業者)コンスタン・ジレルは、リュミエール社の若き撮影技師。京都では創業者の家族のほか、歌舞伎や保津川下り、大阪では心斎橋の雑踏などをカメラに収めた。初興行の入場券15

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