稲畑産業株式会社 社内報「いなほ」216号
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浴衣を着て花火大会に行きました「東京大茶会」で使われた茶道具宝田恵比寿神社のお祭り「べったら市」にて昨年の夏、花火大会に行く機会がありました。誘っていただいた人事室の田和さんや会社の方々に付き添ってもらい、浴衣と草履も買い揃えました。花火を見に出かけたことをあとで母に話すと、ごく自然にこう言いました。「どうして花火があったの?何のイベント?」。たしかに、フランスで花火があるのは革命記念日などの特別な日に限られます。しかも花火がその日の主役になることはありません。そのため私は、日本では花火を見ること自体が目的にています。暮らしが自然と密接であり、お花見、紅葉狩り、雪見など、季節の移ろいを楽しむ術を知っているのです。また、楽焼(ろくろを用いず手とへらで成形される陶器)に見られるように、仕上がりの予想がつかない作品を愛でます。仕上がりをコントロールされた作品より、偶然性を秘め自然な風合いのある作品の方が美しいということを、作り手は知っているのです。このように自然への敬意が育まれているのは、自然の脅威だけではなく、その恩恵を日本の人々が知っているからこそではないでしょうか。以上のように、私は日本で日々のささやかな出来事に意識を向けるという、新しい生き方に出会いました。不手際、無駄な所作といったものが、茶会の間まったく見当たりませんでした。日本の人々は、今、この瞬間を生きているように見えます。また、日本には時間や季節を象徴するものがたくさんあります。海外に住むある日本人に、私がラムネ瓶を見せたときのことです。ビー玉のカランコロンという音で祭りの雰囲気を思い出したかのように、彼は日本の夏が懐かしいと言いました。日本の夏の良き思い出に浸るには、象徴的なもの一つで十分だったのです。生活と自然日本人はこうした日々の喜びの多くを自然の中に見出しなることを、母に説明しなければなりませんでした。私が日本で学んだ最も大切なことは、人生の新しい楽しみ方だと思います。豊かな慎ましさ日本人は日々の小さな出来事に敏感で、ちょっとした喜びを大切にしているように思います。その典型例がお花見です。日本の人々は年に一度限りの儚い時を慈しみます。「ただの花じゃないか、毎年咲くだけだ」と欧米人は言うかもしれません。彼らはわかりやすい形に喜びを見出す傾向があるのです。これは、花のしつらえ方にもあてはまるでしょう。欧米のブーケにはたくさんの花と色がびっしりと使われています。一方、日本の生け花はバランスのとれたいくつかの草花(色彩も豊ささやかな喜びを愛おしむこと〈好きな漢字―「藤」を書きました〉藤の花は下を向いて悲しそうですが、誇りがあり、高貴にも見えます。艹(草冠)や水、朕といった部分にそれがよく表れており、藤という漢字をいつも「滝のような雄大な木」という風にとても詩的な表現で覚えています。かであるとは限りません)で構成され、ある種の感覚、表現を生み出すのです。思い出への近道日本にはこうした毎日の小さな幸せを感じる方法がたくさんあります。お花見では、まず最適なお花見スポットを探し、次に日時を決め、当日は場所取りをします。この過程のひとつひとつが大切なのです。「東京大茶会」という、浜離宮で開かれた茶道を体験する催しに参加したときにも、同じことを思いました。迷い、※英語の原文をクレールさんのご友人に翻訳していただきました。リヨン経営大学からの留学生、クレールさんに日本で学んだ文化について語っていただきました。11リヨン経営大学Claire CHEVALLIERクレール・シュバリエ

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