amuse boucheIKものがたりこれもINABATAいなほGallery
○印にマウスオーバーすると、拡大画像がご覧いただけます。

1890年代 創業者・稲畑勝太郎のサイン

創業間もないころ、フランスの取引先へ送られた書簡に記載されている勝太郎の署名。最初の「I.K.」のイニシャルに「Inabata」の文字が続いています。書簡の中には、当時フランスから輸入した映写機「シネマトグラフ」の発明者であるリュミエール兄弟への注文書等も含まれていました。

1893(明治26)年、1895年(明治28年) 業界紙の広告

稲畑染料店は、フランスのサンドニー染料薬品製造会社との取引を皮切りに、エ・ギメー群青製造会社、ティアシュ色素製造会社などからの輸入染料を販売を開始しました。
勝太郎は、当時各地で発行されていた関係業界の機関紙に、取扱商品の広告を掲載すると共に、染色法の解説などを寄稿して業界の啓発に努めました。さらに明治26年には同業者の長瀬商店と共同で、京都染織工業雑誌社を設立、「染織工業雑誌」や「仏国染料月報」などを発行し、業界の発展向上に寄与しました。当時の広告には「IK」ロゴがデザインされています。

1894(明治27)年 市川左団次一座へ送った緞帳

稲畑勝太郎は、日本の二大織物会社のひとつ、日本織物(株)に協力し、当時流行していた輸入品の「南京黒繻子(サテン)」にかわる国産の黒繻子「織姫繻子」の商品化に成功しました。
この「織姫繻子」の販売とともに、明治27年5月、東京明治座で市川左団次一座が宣伝劇 「織姫繻子 縁 色糸」を上演。大ヒットとなりました。この劇の上演に際し、稲畑商店が市川一座へ贈った緞帳(写真)にもIKのロゴがデザインされていました。

1897(明治30)年 稲畑染工場のはっぴ

国内の染色技術が徐々に高度化しつつあった明治30年、勝太郎は染色加工業を専門に行う「稲畑染工場」を設立しました。海外の優秀な染色機械や最新の染料を導入し、勝太郎自らが技師や職工を養成した同工場では、婦人袴に使用された「えび茶染」や軍服の「カーキ染」の考案など、優秀な製品を生産しました。工場は年々事業規模を拡大していったのち、昭和10年に東洋紡績(株)に譲渡されました。

1897(明治30)年 大阪へ本店を移転

勝太郎は、稲畑商店の更なる飛躍を図るため、明治30年10月本店を当時の日本最大の商都大阪の南船場一丁目(現当社所在地)に移して、営業の本拠としました。移転当時の本店の写真には、「IK」が刻印された箱がいくつも見受けられます。

1897(明治30)年から1917(大正6)年ごろ
稲畑商店大阪本店の手拭い

当時のお得意先様へ配られたIK手拭い。

1901(明治34)年 堀留町に東京支店を新築

国内経済が急速に発展していく中、当社は明治27年東京市日本橋区本石町3丁目に出張所を開設、その後、明治34年には堀留町に東京支店社屋を新築しました。新社屋の壁の高い位置に掲げられた「IK」が目を引きます。

1918(大正7)年 株式会社稲畑商店を設立 

時代の変遷に即応し、企業の発展を図るため、個人商店から株式会社に組織変更を行いました。設立当時の株券にも「IK」がデザインされていました。


表紙に戻る